心
人と心を開いて受け入れてもらえること、受け入れることがこんなに幸せだなんて知らなかったです。
ずっと欲しかったものがこれだったんです。
体の快感より私は心が欲しいです。
みんなは支配することばかり考えててそれが普通になってることも怖いです。
永遠の愛を美徳とするのもなぜでしょうか?
3次元の私たちには時間が絶対でそれを超越しているからなのでしょうか。
自分の理解できない愛を悪とするのが嫌いです。
感じ方も捉え方求めているものが違うはずなのに他人の関係に口を出す人は本質的な人を好きになること自体を理解できていないのかもしれません。
愛や恋、その違いの答えを知りたがりそれに合った関係をそう呼ぶのではないです。
大事なのは気持ちでわざわざ既存の言葉に当てはめなくても良いのです。
捨てたもの
生きていく中でこれは自分には手にできなかったもの、なかなか上手く振る舞えなかったものを自分には必要ないものだと切り捨てていく人は多いかと思います。
キャピキャピできなかったから根暗で生きよう。
女性として扱われないから中身はおじさんだと自虐しよう。
と、どなたにでも今まで捨ててきたものはたくさんあるはずです。
でも、それはけっこう大切なものなんだよ〜〜って最近なるんです。
捨ててきたものに限って誰かが手にしているのを見ると悔しくなってしまうし、なにより自分が本当に欲しかったものなのかなと感じてしまいます。
捨てたものほど心を縛る。
なかなか直らないから努力するのをやめた、というようなニュアンスのことをよく聞きますがそれでもその努力はやめちゃいけないんじゃないかなって思うわけです。
唾奇
社会人になって、みんな私はこうなりたいんだよねって前向きに話してて
でも結局楽にお金稼ぐことやすごいねって言われたいだけだなって
そのために今は先行投資だったり転職の話ばっかで嫌になるよ
お金も見栄えも大事だけどそれを手にするまでの道のりも楽しくいたいの、ただダラダラ楽で楽しいんじゃなくて苦しいけど楽しいに。
唾奇も歌ってた
苦しい時って辛いけど命がすごい濃い時で、俺の人生はこんなに濃かったんだって瞬間が脳を満たしてくれてて
あーつまんないつまんない
先
人は純粋で、一生なにかに気づかないだろう人を天然やバカと言いますよね
汚れや理不尽を知ると人の黒い部分にまで共感しながら自分も歪んでいきますよね
それらを知ってなお純粋でいられる人はできた人間だなんて言われてて
その次はなにになるんですか?
僕の探してるものはそこにありそうなんです
逆の生活
最近お金はないが時間がある生活から、お金はあるが時間がない生活になっている。
多くの人はどちらかを選択して生きている気がする。お金も時間もある人は勝ち組と言われる人たちなのかね。
さらに体は健康だが心が不健康だったのが、体は不健康だが心が健康になった。後者の方が断然良い。
どちらも大事だが心が健康なら頑張れる。若いから。
付き合い
なんでそんな奴と付き合ってんだよ。早く別れなよ。
よく耳にする会話ですが、なぜ「そんな奴」に限って恋人がいるのでしょうか。
本当に個人の偏見なのですが側から見たとき悪い面が大きい人は良い面も大きいと私は思っています。誰かが不快に思うことは他の誰かが心地よく感じるもので、嫌われることも多いかもしれませんが好かれることも多いです。
それほど突出している刺激的なものほど好む人は多いものです。
逆に悪い面が少ない人は良い面も少ないように感じます。あまりに無難すぎるが故に人の目に止まらないのではないかと思います。もしくは劇的に良いと思うことはない、失ったときに良いものだったと気づくかもというレベルのものになってしまうのです。
そして、何より交際とは2人きりでの旅ですから周りは関係ないのです。周りから段々とおかしな路線に行っていたとしても2人には普通なことになってしまっていたら2人には何がおかしくなっているかということにも鈍感になってしまっているのです。ですから気づくと砂漠の真ん中、行くことも帰ることも出来ぬほど異常の関係になってしまうのでは?と。
余談ですが
顔立ちが良い方で八方美人気味、でも良い人でさらに気配りもできるのになぜか恋人が出来ない人は先程述べた悪い面も良い面も小さい人なのではなく良い面がなにかをしてくれるというものではなく「しないこと」が良さなので他人に気づかれにくいです。個人的にはそのような健気な良さは素敵だと思います。